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アスペの会・東京の歩み
 
 アスペの会・東京 スーパーバイザー 柏木 理江
 
1990年代の半ば、まだ世の中の沢山の人が、
「アスペルガー」という言葉を知らなかった頃、
私は社会福祉法人嬉泉の子どもの生活研究所(子研)で、外来相談の担当をしていたのですが、
ちょうどそのころ、なぜか成人の方に関する相談が続きました。
そのほとんどの方は
「大人になって初めて自閉症を疑われた」
「今まで精神科でいろんな診断名をつけられていた」
「どこに問い合わせても、大人の支援はないといわれた、何の情報も入ってこない」
「二次障害も重くて本人も家族もつらい」
「家から出られない、居場所がない」
といった内容でした。
ご本人さんたちも、親御さんたちも困っていました。
当時は必死になって探しまわっても、使える資源は今以上にごくわずかしかなかったのです。
そこで親たちが集まって、
悩みを相談しあったり、情報交換する場所を作ろう、
本人たちが集まれるところがどこにもないから作ろう、
何ができるかは分からないけれど、今のままでは何も始まらない、みんなで集まって、
何ができるかだんだんと考えていこうということで、
アスペの会・東京を始めることになりました。
会が始まった当初、親御さんたちの話し合いでは、いつもだれかしらが泣いていました。
「私の話をわかってくれる人に、初めて会いました」と語る方も多かったのです。
ご本人の中には、「会への参加が数年ぶりの外出だった」という方もいました。
当時数少ない貴重なお手本だったのは、
辻井先生と杉山先生がされていた「アスペ・エルデの会(NPOになる前)」でした。
何度も会に参加させていただき、どういう形なら自分たちにもできるかを考えていく上で、
先生方から度々アドバイスしていただきました。
またこの会が長く続いているひとつの大きな理由に、
社会福祉法人嬉泉がいつも場所を貸してくれていることがあります。
嬉泉の代表者であり、東京都発達障害者支援センターの
前センター長でもある(故)石井哲夫先生が、この会のことを理解してくださり、
すべてほぼ無償で場所を貸し続けてくれています。
法人の助けがなければ、活動場所の問題から、今まで続けられなかったかもしれません。
このように諸先生方をはじめ歴代の当会の会長さん、面倒な事務や会計、研修会やイベントの準備など、
会が続いていくために必要な細かなことを、一手に引き受けてくださっている親御さんたち、
貴重な休みを使って来てくださっているスタッフのみなさんなど、
陰日向となり力を貸してくださっている大勢の方々に支えられて、今日があります。
本当にありがとうございます。
わたしがこの会をやっていく上で一つ決めたことは、
「始めたからには、できるだけ長く続ける」こと、
そのためには
「自分たちの手に余るような大きなことにいきなり手を出さない」
「ゆっくりでもいいから壊れないようにやっていく」ことです。
これから先もまた一歩ずつ、確実にやっていこうと思います。
そして派手さはなくても着実に、次の十年先が楽しみになるような、
「何か」に向けて積み重ねつつ、皆さんと時をともに出来たら嬉しく思います。
                                                                                                アスペの会・東京 10年誌より

アスペの会・東京

私たちの会のこと、自閉症スペクトラム障害(autism spectrum disorders)

についてお知らせしています。

自閉症(自閉症スペクトラム)、アスペルガー症候群とは?

自閉症は脳の特性によって起こる発達障害です。

『アスペの会・東京』について

当会は、アスペルガー症候群、高機能自閉症の本人と家族のための

自主活動グループです。

1998年7月から、本人と家族にとって

「心の拠りどころとなること」「心のケアに関する支援ができること」「相互に助け合う場となること」

を基本理念として活動しています。

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